お笑いのパックン(アメリカ人)が、英語にない日本語のお魚の種類が多いことに驚いたそうだ。
例えば、すすき・さわらなど、英語にはないそうだ。
逆に言えば、それだけ日本人はあらゆる魚類を食べているという事だ。
それと同様に、日本人にとって魚の臭いはごく身近に感じる臭いの一つではないかと思う。
欧米人にとって最近は和食ブームらしいが、魚の臭いだけは我慢ならないのか、先頃、マグロの養殖で話題になった近畿大学で輸出用に、臭いがない鰤(ぶり)の養殖に成功したという。
養殖エサに工夫を要したという事だ。地方出張の多い私にとって魚の市場は魚臭に満ちている。今話題の築地市場も同様の臭いが蔓延している。
ところが、六本木の大都会でもアメリカン女性にとって「フィッシャー!」と彼女らにとって異様な漂う空気に、魚臭を感じて、思わず大声で叫んでいたことを思い出した。
日本人の肌から出る汗臭さの中に魚臭を感じたのであろう。
血の滴るレア肉を日本人が馴染めないのと同様、生魚である鮮魚に拒否反応を起こしているのは嗅覚のDNAなのかもしれない。
その鮮魚がアニサキス問題で一気に生魚の売り上げが下がっているという。
海に囲まれた日本列島で育った日本人にとって魚臭はつきものであるが、
魚離れの若者にとってマックのハンバーグの臭いに郷愁を感じるのが当たり前の時代もやがてやってくるであろう。
育った時代背景を考えることが、NBM(対話に基づく医療)であろうと
介護アロマではNBMを通して香り物語を引き出す工夫が不可欠と考えている。