土曜日の午後、ふらっと学生時代懐かしい街、横浜のシネマリーンに知り合いの無声映画のピアノ伴奏に立ち寄った。無声映画は私を在りし日にタイムスリップして現実の生活を忘れ去るのがいい気分転換になって心地いいひと時となる。

しかし映画上演中、途中何と睡眠不足なのか寝てしまった。というよりも内容が読み切れなくってなかなか骨の折れるトルストイ原作の作品だった。

やっと初上演であったのでトークショーが上演後、行われやっと目が覚めてしまったのだがすでに遅し。

このあと馬車道にスコーンと紅茶でくつろごうと画策していたが、この後の映画が気になり急遽、引き続き鑑賞することになった。題名が「横須賀1953」という題名であったが、戦後の混血児の悲哀を経験したドキュメントであった。駐留軍が戦後日本に上陸して、特に米軍基地があった横須賀には米国兵と日本女性との間に生まれた混血児のその後の苦労の連続の人生がテーマだった。

俳優の草刈正雄もNHKのアナザーストーリーという番組で米国に自分を生んだ父親探しに渡った番組を先日みたので、この「横須賀1953」にも興味を持った。

この映画では私が学生時代合宿した三浦半島の秋谷がたびたび出てきたり、横須賀の町がロケされて、学生ヨット部時代を思い出した。

しかし鑑賞後に戦争がもたらした後遺症は子供や女性に大きく心の負担になっていることがドキュメントを通じて痛感した。主人公の米国女性は母親と離れ離れになって米国に養子縁組して5歳にして渡米を余儀なくされた。以降66年もの間、祖国日本には戻ることはなかった。父親はもちろん、日本人である母親とも音信不通となり、今回あることから日本に帰国して自分の母親探しに記憶の限り一週間飛び回った映画であった。その彼女の最後に語った言葉が印象的であった。「私が日本人であることを改めて認識し直した。私の魂は日本人であった」いう。戦争がもたらしはその女性の米国での苦戦苦労は並大抵なものではなかった。言葉少なに彼女の表情が何にも代えてそのことを物語っていた。

私は同じ境遇ではないのだが、私生児や混血児を生んだ戦争が今も世界各地で繰り広げられていることが悲しい。祈るしかない無力に自分自身が残された人生何をしなければならないのかを考える機会となった。

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