「夏の夕誰彼忘れ徘徊す」

これまでの介護を扱った映画作品では、とびきり明るく希望をもたらしてくれるハッピーエンドの映画であった。

若き夫婦役を演じた貫地谷しほりに若年性認知症を演じた和田正人の夫婦役が好感が持ていい演技をしていたのが印象的であった。

貫地谷はナレーション役でも声が向いているのかよく映像で耳にする。南杏子先生の原作「ディア・ペイシェント」NHKドラマでも内田有紀との先輩後輩のドクター役で好演していた。以前にも増して演技力がついてきた感じがした。

さて今回のオレンジランプは認知症でも若年性つまり65歳未満の認知症という設定で39歳にして診断を下された場面から始まる。

通常の認知症と違って明らかに老年病という病識がないから周りも本人も戸惑いを覚える。

自分の家に帰れなくなるというシーンでは町の交差点で右往左往しているが、誰も若い本人が認知症だと思わないので迷惑顔で肩透かしを食らってしまいます。そんなこともあってカードに意思表示をする工夫をするのだった。

日常生活が滞りなくできるように病気で動けないのではないのだから認知症なりに工夫をして生活することを覚えた。この認知症というのは決して病気ではなく、いろいろな症状が出てきてしまう症状群なのであるから、入院して治療するような病気とは違う。

そして認知症本人ができないことだけを助け、なるべく本人自身にやってもらう我慢が周りの人たちに必要なことを訴えていた。

ふたりの子供もお父さんが認知症でいじめられるのでないかと心配していたが、見事に二人の子供も認知症であることに後ろめたさがなく、見守ってあげるから大丈夫という姿勢を貫いている。

必要なことは夫婦愛であり家族愛であることを感じた。そして会社の上司や仲間も最初は戸惑いながらも全面的に認知症の取り組みをして決して差別をするような職場環境でないことが心休まった。まるで若年性認知症を応援する教育映画のようでもあった。

そんななかでアロマの香りがこの主人公に漂わすシーンがあったらと介護アロマに取り組む私にとっては願わずにいられなかった。

最後のプロポーズの言葉の交換シーンでは「何があってもずっとそばにいるから」という言葉の重みは若い夫婦が遠い将来、死別することまで考えてのセリフであったろうか?

私の介護アロマ講座は在宅看取りこそこのプロポーズの言葉を実践するためにあるのでは?と思った。在宅見取りが出来なければ、このプロポーズの言葉は無残に破られることになるのは必然の結果であろう。

だから今、介護アロマは誰にでも身につけてほしいと願わずにいられない。

何があってもずっとそばにいるからを実践するためにも

アロママッサージ(時にはレクリエーション)を通じて癒しを地域のイベントや高齢者施設や障碍者施設にお届けするボランティア活動している社団の活動にご興味ある方に(高齢者へのハンドマッサージの実習も行います

一般社団法人日本アロマレクリエーション協会、只今会員募集中