このところ高齢者を扱った映画が日本でも注目を浴びている。

日本だけでなく高齢者問題は欧米でも深刻な問題である。

やたら介護関連の映画も上映されるのは社会的現象であろう。

高齢者狙いの商品が今やあとからあとから開発に余念がない。

ドイツ式介護と認知症のセミドキュメント映画「わすれな草」が公開された。

3週間前にフランス式介護と認知症の映画「未来よこんにちわ」を鑑賞してから他国の介護のあり方に興味を抱いた。

欧米の夫婦単位が原則だと思っていた先入観はこの二作を見るからに、間違っていた。

親子の関係にも生涯深い絆で結ばれていることは欧米でも同じだ。むしろ日本の家族関係こそ親子の断絶が近年激しさを増している。

 

二つの映画を見て近い将来、誰もが介護に何らかな形で突然関わることになるやしれない。その時のための心の準備をするに越したことはない。

介護予防は介護者にも当てはまる。

つまり介護を支える家族が常にアンテナを張り巡らせ、どう親と関わることができるか、同居別居の問題を普段から考えてまとめておかねばならぬ。

 

講座の中での「癒しの手」の体験は心の準備をするにいいシュミレーションになると思う。

二つの映画の共通点は介護者が教育界のエリートであることだ。

ドイツ式では数学の教授、フランス式では高校の哲学の教師だ。

そんな二人の介護とは無縁のエリートが親の介護には避けては通れない難関が待ち受けている。

「わすれな草」「在宅での家庭介護を貫き通した。

「未来よこんにちわ」では施設入所させて面談での関わり合いだけだが、どちらがいいとは一概に言えない。

ケースバイケースでしっかり本人の意思確認はもとよりあらゆる手段を用いて心の動きにも目くばせしないといけない。

 

わすれな草では夫婦が過去の結婚生活を取り戻すような、夫から認知症の妻への随所に触れる場面が微笑ましかった。

そんな「癒しの手」が記憶の途絶えた認知症本人にとっては、生きる勇気と希望をもたらすことだと改めて思った。

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