在宅介護

 

2001年に大阪の小学校で8人もの小学生が犠牲になった無作為の殺人事件が起きた。

それを彷彿させるような新着映画「葛城事件」をロードショーで鑑賞した。

生々しい家族の崩壊がじりじりと幼少時からの場面を交えながら事件に至った真相を描いていた。

心の揺れ動く葛藤が家族間で右往左往する様子がリアルに展開していく。

 

冒頭に主役の三浦友和が「バラが咲いたバラが咲いた」と放心状態で口ずさんでいる。

バラでなくバラバラな家族の有り様がここに象徴されていた。

陰湿で暗い人間ドラマが平和で幸せな家庭のどこにでも起きそうな危機感が迫ってくる。

 

鑑賞したその二日後に「介護は突然やって来る」という帯のキャッチコピーが目についた「在宅介護」の著者である結城康博先生の講演を地元で聴講した。

 

まさに家族崩壊・無作為殺人事件は突然やって来ると葛城事件の映画を見て、その帯字と同じであると思った。

 

しかし葛城事件も介護も突然でなくその兆候がかなり以前から芽生えていた。

それは決して宿命でなく、偶然でもなく、必然性がその有り様によってあったのだという事に気づいた。

介護も葛城事件同様、社会問題を巻き起こすほど凶悪な事件にまで発展しているケースが昨今、新聞紙上をにぎわしている。

 

介護問題は人材不足とか制度上の問題とか、いろいろ言われているけれど、私は源流は家族問題に起因すると思う。

 

赤ちゃんが支えられて歩くように、逆におばあちゃんが支えられてやがてあの世に帰っていく、同じ過程は家族がまずはそのことを理解して介護問題に取り組むべき啓蒙教育が必要でないかと思う。

 

根本が理解されれば、支える力が家族介護力だけでなく、いろいろ制度や周りの見守りなど支援を受けることを考えれば負担も軽く罪の意識もなくなると思う。

 

そんな社会教育をする場がないのが今の日本の現状ではないのか?

選挙公約はお題目になるぬよう、人気取りにならぬよう、目先の選挙民の興味でなく、心の教育が介護にも必要でないかと訴える議員候補者殿に訴えたい。

孤独死

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