鰻屋の店先で匂いを嗅いで飯を食べていたら、後で勘定が来たという落語噺がある。鰻が江戸時代高嶺の花ならぬ高値の魚であったことが想像される。

初ガツオは妻の着物を売ってまでも江戸っ子は口にしたという初物好きの江戸っ子ならでの話も落語の小噺に出てくる。

初カツオにはないウナギのかば焼きほどのあの強烈な臭いは、とにかく味覚以上に嗅覚効果からの刺激かもしれない。

庶民文化が開花した江戸時代にはこうした落語のしゃれもいっときの苦しさから生まれたものと思われる。現代に通じる川柳というものがある。

 

土用の丑。スーパーでも山積みとなったウナギのかば焼きを目にした。絶滅危惧種とは思えないウナギの売れ行きに唖然とした。

私の担当する胃がんの患者に一口でもいいからウナギが食べたいという。

そこで思い切ってかば焼きを目の前に出した。しかし鼻で匂いを嗅いでいるだけで一切口にしなかった。匂いだけで彼は十分満足したのであろうか?

ウナギの臭いが生命力を高めるいや生きる希望をもたらしたら、ウナギはのどに通らなくても匂いだけで究極の免疫剤になるかもしれない。

 

 

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